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恐神の住居

国見岳山系の山裾と日野川の間に位置する12世帯の集落のなかにある、福井豪雨で被災した若夫婦のための家。ここでは予期せぬ事態によって発生した与件を積極的に捉えて、受動的形態操作を行うことで諸問題を解決しつつ、魅力的な外観や内部空間を実現することができました。

依頼内容

2004年7月の福井豪雨。裏山が崩れて当時の母屋は災害にあい、残ったのは『離れ(現在の母屋)』と農業倉庫。 老夫婦は『離れ』で暮らすようになり、若夫婦は近所の空家で仮住まいをされてました。その後、当事務所にご依頼があり、計画がスタート。若夫婦からの要望は多くはなく、「兼業農家である家族が農作業の合間にもラフに使える住まい」、「家族の気配が伝わるように」とのこと。しかしながら、当時の福井は一般的に設計事務所への理解も薄く、「大工さんに頼めば家は建つ」という御父様の意見もある中でのスタートでした。

アイデア

『離れ』の南側の田圃を敷地として様々なスタディを繰返していくなか、 ある日突然にL型擁壁が設置され、表層改良をされた盛土によって不用意に敷地が確定。その後、敷地の一部が農地転用の利かない土地だと判明。更に、田舎ではよくあることですが、敷地境界線がハッキリとしない状況も加わり、結果残った敷地は南北に細長い台形の形状となりました。
そのなかで必要諸室をならべながらワンルーム的空間を折り曲げて構成。そして全体のボリュームを2つの隅切りでカット。南東の隅切は、木を植える為に表層改良がされなかった地盤を避ける為。 北西の隅切は、農地転用不可の範囲を避ける為。
都会では法的に発生する様々な斜線により建物形状が決まったりもしますが、突如、この田舎で発生した「斜線」によって、この建築のカタチが決まりました。

価値

完成した住居には、閉じた個室がありません。当初、子供室が必要になったら母屋の部屋を使えばよいという考えでしたが、完成から10年近く経ち、子供も中学生になっている中でも、家族4人が仲良く、穏やかに落着きのある空間で日々を過ごされています。

豪雨で崩れた法面

ある日、突然設置された擁壁と地盤改良

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