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だいたいの建築 そして、ニエキラナイ建築

2008年12月27日 / 雑感

自分の建築を評してくれる友人がいる。

「だいたいの建築」とは真空ラボの面々。
そして、「ニエキラナイ建築」とは友高室内装飾の友高さん。

ことばだけ聞くと、なんかテキトーな仕事をしているように感じられてしまうかもしれない。
だけど自分としては、結構、この言葉は的を得てるなあ~と感じている。

「だいたい」とは構造がおろそかとか、ディテールが納まっていないとか、そんな話ではない。
細部の所まで気を配るのは当たり前なのだが、そういったものを「大きな意味」で方向性をまとめておけば、後は気にしない。細部に「大きな意味」とは別の「小さな意味」を付与することを避けていることである。
施主(旗をふる人)と打合せを重ねることで、共通の認識のもとに建築に「大きな意味」が与えられる。そして、後はそこで生活(活動)することを制限するような「小さな意味」をあえてつくらない。言うなれば、「大きな意味」以外は「だいたい」で良いということである。

そして、「ニエキラナイ」というのは、デザイナーとして「コー見せたい、アー見せたい」という意思が働いていないということ。そんな恣意的なデザインには興味がない。施主と「大きい意味」を見つけ出せれば、他のことは使い勝手やコストを考慮して決めていく。そして、物事を素直に成り立たせることに力を注ぎ、「泣かぬなら、泣かなくていいだよ。ホトトギスさん」の心構えで、無理をしない。

これらの意味を踏まえて、カッコよく言うならば「大らかな」なのかなと思うけど、ネガティブなイメージがまとわりついてしまう「だいたいの建築」、「ニエキラナイ建築」の方がお気に入り。

さて、来年も 「だいたいの建築」、「ニエキラナイ建築」 を実践していきますか...。